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11.30
Sat
今日、おばあちゃんのことを思い出した。

おばあちゃんは、私が屋久島に来る少し前に亡くなった。

おばあちゃんは最後まですごく元気で、もったいないと、バスにも乗らず2時間以上歩いたり、5階まで階段で上り下りしたり、毎年御岳山へ登ったりしていた。

美容師で、着物の着付けが出来て、戦前はそういった仕事をしていたようだけど、戦争で全てが焼けてしまい、おじいちゃんの勤めていた国鉄(現JR)の長屋みたいなところで、狭い一部屋で家族6人、家具もない状況での生活だったそう。

でも、その頃の話しをするおばあちゃんはいつも楽しそうだった。

母に聞くと、おばあちゃんは近所の人が困っていると、いくら忙しくても駆けつけていったそう。
母の記憶では、長屋中の赤ちゃんを「私にやらせて」と、お風呂に入れてあげてたそう。

おばあちゃんが亡くなる2、3年前だったと思う。
東京で暮らしていた私の家に、おばあちゃんが1週間ぐらい遊びに来たことがある。
ナオヤがしばらく海外へ遊びに行った時で、一人は寂しいって言ったら、「じゃあ、私、遊びに行こうかや〜」と突然言い出し、突然来たのだ。
そのとき、おばあちゃんはすでに80歳を越えていたと思う。

ごちゃごちゃした町並みの下北沢で、おばあちゃんは一人散歩して、時々帰り道が分からなくなり、公衆電話から電話をかけて来て、「ここ、どこだいね?」と聞いてきた。
「周りを見て、何か特徴のあるものを言ってみて」と言うと、私には全く見当のつかないものばかりを言う。
「植木鉢に黄色のお花が咲いてる店の近く」とか「ほうきが売ってるお店があるよ」とか。。

その当時、学校に通っていたのだけど、夏休み期間で、昼はあいているのだけど、土日以外は毎日夜遅くまでバイトして、バンドの練習を夜中にやっていたりした私。
おばあちゃんが来ても、そのリズムを変えることなく、おばあちゃんは結構長い時間、一人で、全く知らない場所、東京の下北沢の街をぐるぐる散歩してた。

そして、洋服やアクセサリーをどこかで買って来ては「これいいでしょ?でもすごーく安くて、わたしゃびっくりしちゃってね〜。たかえにも買ってあげようと思ってもう一回行ってみたんだけど、場所がわかんなくなっちゃって。年寄りはこれだからやだね〜」とは、楽しそうに過ごしていた。

いつの間にか、隣に住んでいた大家さんのおばあちゃんとも仲良くなっていて、お互い耳が遠い同士、全く噛み合ない会話をしたり。

私がおばあちゃんに「一体、何の話しをしているのか、分かってる?」と聞くと、「さぁ、わたしゃ、よく聞こえんもんで、さっぱり分からん。でも、向こうも好きなこと話してるだろうから、私も好きなこと話してるんだよ。そんでも、楽しいもんだよ。」と言っていた。

来たばかりの日に、台湾料理のお店に連れて行って、一緒に紹興酒を飲んだら、紹興酒がとても気に入ったようだった。

そして、私が毎晩遅くに帰るのもちゃんと待っていてくれて、ちょっとしたつまみになるような物が用意してあって、「たかえと一緒に飲もうとおもってね!」と紹興酒を持って来るのだ。

夜中の2時くらいまで色々話しながら、私はいつの間にか寝てしまうのだけど、翌朝になると、おばあちゃんはいつの間にか起きていて、朝ご飯を作ってくれていた。
「おばあちゃんも、もっとゆっくり寝てていいんだよ。どうせ私は起きないんだし。」と言うと、
「私のことは気にしないで、たかえは疲れが取れるまで寝てなさい。」と、80歳を越えたおばちゃんが私の足をマッサージしながら子守唄をうたってくれた。

私は再び寝てしまい、おばあちゃんはまた一人で散歩に行ったり、お隣さんと噛み合ないおしゃべりをしていたみたいだった。

そんなある日、バイト先で、おばあちゃんが来ているという話しをしたら、お客さんの一人が「おばあちゃんがせっかく遊びに来てくれてるんだったら、仕事なんて休んで、おばあちゃん孝行しなさい」と、おばあちゃんと私にとフラメンコのチケットを2枚くれた。

チケットを見ると翌日。仕事を休ませてもらえるか聞いたら、意外にもすんなりオッケーが出て、翌日早速おばあちゃんとフラメンコを見に出かけた。

会場は渋谷駅から少し歩く場所だったので、タクシーに乗ろうと言うと、
「もったいない」とすたすた歩き出したので、一緒に歩いて会場まで行った。

だいぶ早くついたので、最前列に座ることが出来た。

おばあちゃんはフラメンコのショーの間中、ほとんど一言も話さず、じーっと見入ってた。

終わってから「どうだった?つまんなそうだったね。」と言ったら、
「わたしゃ、こんなの生まれて初めて見たから、びっくりしちゃってね。あの女の人は外人かい?あの楽器はなんていうの?あの光(照明のこと)で、まるで夢の世界にいるかのように思っちゃってね。途中でわたしゃ、死んじゃったのか?って思ったよ。」といろんな感想を一気に話しだし、最後に
「たかえのおかげで、こんないい思いが出来た。おじいちゃんへのいい土産話ができた。あー、ありがたや、ありがたや。感謝感謝!」と言うので、
「おいおい、まだ死ぬなんてこと言わないでよ。おじいちゃんだって、もっとゆっくりして来なさいって思ってるよ。私もいつか子どもを産みたいから、孫を抱っこするまで長生きしてよ!」と言った。

おばあちゃんが、なぜこのとき突然遊びに来たのか、私にも分からなかったし、母や伯母もびっくりだったらしい。

今になって、冷静に考えると、おばあちゃんが来てくれたこと自体がものすごいことだし、おばあちゃんが来ても大した歓迎もせず、相変わらずおばあちゃんに甘えっきりだった私もあまりにもひどかったと思うし、何もかもが信じられないような1週間の出来事だった。

おばあちゃんが亡くなってから、おばさんが言っていたのは「たかえがねー、時々おばあちゃんに手紙書いて来てたでしょ?それが相当嬉しかったみたいだよ。ずっと取っといてあったもん。だから、あの時最後のチャンスだと思って行ったんじゃないかな。」ということだった。

確かに私はよくおばあちゃんに手紙を書いていた。
内容はいちいち覚えていないけど、いつも一方的に自分のことを書き、愚痴や不満を書きなぐるときもあった。そして、最後は必ず「かわいい孫のたかえより」と書いていた。

おばあちゃんは最後いろいろ大変な晩年だったけど、そのおばあちゃんの境遇を作り出した人に対して怒りまくる私に対し
「たかえはね、そんな怒ってばっかいちゃいかんよ。私は全然怒ってないし、感謝してるぐらいなんだから。たかえも、怒りたくなったら逆にいっぱい感謝するようにしなさい。怒ったって何もいいことはない。みんなに生かされて今があるんだから。それはもう感謝するしかないと思うよ。誰に対してもだよ。私は、たかえみたいなかわいい孫がいるだけで幸せだ。感謝感謝!」と言っていた。

おばあちゃんのこの言葉は当時の私には「何バカなこと言ってんだ!そんなことばっか言ってるから、こういうことになるんだよ!いい人でいるのも、大概にしてよ。」と、全く受け入れられなかったけど、今になって、やっと意味が分かるようになって来た。

おばあちゃんの心の中には本当は恨みがあるけど、感謝って言ってるだけに違いないと、ずーっと思っていたけれど、それも私の思い込みでしかない。
おばあちゃんはいつでもニコニコしていて、誰に対しても腰が低く、何でもすぐに「ありがとう!感謝感謝!」と言っていた。
そして、たくさんの友人がいた。

確かにおばあちゃんは幸せだったんだと思う。
そう思えたら、私も幸せになった。

おばあちゃんの晩年のことでは、ある人に対し、私の心の中ですごく大きな決して溶けない恨みのかたまりのような物があったけど、今日、ふとおばあちゃんのことを思い出して、おばあちゃんとの思い出を振り返ることによって、一気に溶解した。
涙がいっぱい出た。
我慢しないでいっぱい泣いた。今も泣いている。

今日までは、その人にもし会うようなことがあったら、あれもこれも言ってやる!おばあちゃんの恨みを晴らしてやる!とずーっと思っていたけど、もうそんなことはしようと思わない。
それに、その凝り固まっていた思いは、その人に対してだけじゃなく、文句を言うだけで、結局おばあちゃんに何もしてあげられなかったという自分への悔しさもあった。

泣きながら、10年間の怒りが溶けていくのを感じた。

なんか、おばあちゃんが天国から優しく微笑んでくれているようだなぁ。
ありがとう、おばあちゃん!

たかえ

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