--.--
--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

10.08
Tue
 (前回のスエットロッジin屋久島 その1

スエットロッジで使う、熱々に焼けた石のための焚き火。
点火をみんなで見守り、火が落ち着いた頃に一旦集合場所のみきちゃんの家にもどった。

私たちが来るまえに用意してくれていたうどんとサラダの夕食をみんなで食べた。

そして、歌の練習。

歌は本場のスエットロッジのセレモニーでも歌われているラコタ族の言葉の歌。
音の並びが全くアタマに入ってこなくって、覚えられない。
ところどころ、日本語みたいに聞こえる部分と、ひたすら繰り返す部分のみ何とか覚えることができた。

この時は、歌を覚えることで後々救われることになろうとは、この時全く考えもしなかった。

このとき、ラコタ族のサンダンスという儀式の話しを聞いた。
サンダンスは灼熱の大地で4日間、水も食べ物も一切取らずに踊り続ける儀式。
その儀式の最後はピアッシングという耳を塞ぎたくなる様な、痛そうな儀式の話しも聞いた。

この痛み、苦しみに耐えて、そこに何があるのだろうか?
私には理解不能な世界だったけど、聞いているうちに自分の陣痛の時を思い出した。

陣痛の痛みはとてつもないものだったけど、その痛みに耐えきれなくなった時に、自我?がぽーんと離れた瞬間があった。
痛みはもう私のものではなく、ただ「痛い」と感じている感覚があり、それを見ている「私」という存在がいた。
その感覚は静寂そのものなのに、強烈な快感があった。
ちょっと前まで「痛い、痛い」とうめいていたのに、その時思わずもれた言葉が「きもちいい。。」だった。

なぜ、このようなことが起こるのか?
人間の脳や肉体の仕組みゆえのことなのか、もっと別次元の魂のレベルでの話しなのか、それともどちらの要素も含むことなのか?

どちらにしても、痛みが極まった状況で感じた不思議な至福感。
そして、存在の真理。
こういったことをあらゆる体験から理解していた古代の人が、そこに繋がるために生み出したのがセレモニーなのかもしれないと思った。

その後、祈りを込めた赤いてるてる坊主を作る儀式をした。
このてるてる坊主はスエットロッジの中で自分の上に吊るすもの。

赤いてるてる坊主の中には、セージの煙りで浄化したタバコの葉を入れる。
祈りの内容はなるべく具体的にと言うことだったので、私はいろんなことを具体的に思い浮かべた。

子ども達のこと、家族のこと、友達のこと。みんなが安全な環境で元気に幸せに生きていけるように。
私が憂いている様々なことが、誰かを傷つけることなく解決してくれること。
他にも細々、こんなにたくさんの祈りを込めていいんだろうかと思う程。
でも、祈りの内容は普段から感じていることばかりだったので、これなら、いざスエットロッジの中に入って、何が起ころうとも揺るがず祈ることが出来ると思える内容ばかりだった。

盛り上がっていた空気感とは一転して、一人一人が静かな時とともに、祈りを込めて赤いてるてる坊主をつくっていた。

てるてる坊主が完成したら、いよいよ着替をして、会場へ向かうことになった。

いろいろ説明を聞いていたにも関わらず、私はうきうきした高揚した気分になっていった。

というのも、後から冷静に考えてみれば、ここまでの松木先生の話しから、その後のセレモニーが何事もなく終わるはずもないのは解り切ったものだったのに、なぜか私は、私が楽しんでる間、子ども達は大丈夫かな?とか、何が起こるのか、わくわくするなぁ~!なんて、とんでもなく話しを理解していないような思いを抱いていた。
これは、私が人の話しを深く聞いていなかった証拠だと、今は感じている。

これも今回のスエットロッジでの大きな収穫の一つである。
自分では聞いているつもりでも、誰かの話しに魂を傾け、耳を傾けるということが出来てなかったんだなと思った。

情報がありすぎる今だからこそ、誰かと直接話すことが出来る状況においては、さらに深く、でも先入観を持つことなく、しっかりとコミュニケーションをしていきたいし、それが今の自分なら出来ると思う。
方法論ではなく、理解できた。

松木先生はこういった理解に関して「understand」ではなく、「faith」だと言った。
とてもしっくりきた。

そして私の質、でも、それはまやかしの私の質ではない、正真正銘の私のオリジナルの質へと近づいていく大事な理解の一歩だと思った。

スエットロッジは体験したその時だけではなく、後から後からいろんな洞察が生まれてくる。

私はオーラソーマを仕事にしているが、オーラソーマも同じように、セッションを受けているその時だけではなく、セッション後、ボトルを通して自分自身と向き合うことによって、深い理解が得られる。

今回の私が、深い理解へ到達したのは「体験」と「シェアリング」によってだった。
私以外の誰かがいて、初めて見えてくる私。
シェアリングの場で出てくる話しは、誰か一人へのメッセージではなく、そこの場にいる全ての人に必要なメッセージなのだと思う。

そして、体験したこと、理解(Faith)が、日々の生活を意識的なものにする。

あらゆる事象、点と点が結びついて、線になっていく。
線と線が交差し、平面になり、さらに交差し、立体的になり、私たちの日々を形作っている。

さて、次はいよいよスエットロッジに入ります。

スエットロッジ2
  これが赤いてるてる坊主。奥の人物に焦点が合っちゃってますね。
  スエットロッジのテントの枠組み。カバーを取った状態。
  この石が熱々に焼かれて、テント内を超高温スチームサウナ状態を作り出します。

(つづく)

たかえ

comment 2 trackback 0
トラックバックURL
http://kaihoya.blog53.fc2.com/tb.php/480-600484b2
トラックバック
コメント
早く続きが読みたーい♫
みほ | 2013.10.08 12:51 | 編集
取り憑かれたように書いてる(笑)
内容をそぎ落とすのが大変なぐらい濃い経験でした。
感謝!
屋久島「カイホー屋」たかえ | 2013.10.08 22:01 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。