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05.04
Fri
我が家では例え親が言っていることでも、納得できなければ、とことんそこを追求すること。
おかしいと思うことは、きちんとその旨伝え、とことん話し合おう!ということにしている。

「ダメ」を言うときは、なぜそれが「ダメ」なのかを伝える。

だから、「ダメ」という時に「何で?」って聞かれると、こちらも「何でダメなんだろう?」って考えてしまって、結局それは自分の思い込みに過ぎなかったことに気づくことも多い。

学校が始まって1ヶ月。
カフウは学校で先生にいろいろ言われることが、全く分らないことが多いようだ。

学校の様子はこちらから聞かないと言わないけれど、夕ご飯の時に「学校どうだった?」と聞くと、
「先生の話しは私に関係のない話しばかりで、聞いているのが大変なんだよ。どうして聞かなきゃいけないの?」と言う。
一体何の話しをしているんだろう?と思って、詳しく聞いてみると、先生がカフウに関係のない話しをしているわけではなく、こうしなさい、あーしなさいということが、なぜなのかをさっぱり理解できない様子だった。

先生が「カフウさんは私が話しをしている時に、本当に苦しそうな表情をするときがあるので、多分イヤなんだなと思います。」と言うので、「それはイヤだとかいう以前に、ルールや規則の意味が分からないんだと思います。ルールを説明する時に、出来るだけその理由も伝えて下さい。なぜそれを守らなければならないのか。ただ◯◯しなさい、と一方的に言うだけでは、カフウは納得できないかもしれません。」と伝えた。

今まで私が子どもたちに守って欲しいこととして言ってきたのは、「危ないことをしない」「ウソをつかない」「暴力はダメ」「食べ物を粗末にしない」等々。
後は私の機嫌にもよるけど、「邪魔しないで」とか「うるさくしないで」なんかもある。

特に、やってはいけないことに関しては、言葉で何度も説明し、時には激怒したり、泣いたりしながら、本当によろしくね、って感じで伝えてきた。

小学校入学前は家や幼児学級で、ほぼ自由に過ごしてきた。
それが小学校に入ったとたん、いきなりいろんな規則に縛られ始める。

例えば、「椅子の上に正座してはいけません」

カフウはなぜか家でも椅子に正座して机に向かってる。
私もそれを気にしたことなどなかった。
レストラン等へ行っても、椅子に正座すると言えば「じゃあ、靴脱いでね。」と言うくらい。

先生が「カフウさんに何度言っても椅子に正座するのですが。。」と言うので、「なぜ椅子に正座してはいけないのか伝えて下さい。」とお願いした。
先生は「それが、うまく説明できなくって、カフウさんに納得してもらえません。私も、何て言ったらいいのか分かりません。」と言う。

世の中にはたくさんの説明できないことがある。
いつの間にか「当たり前」になっていること。
それは本当にそのままでよいのか?

カフウがいろんなことに疑問を抱き、それをストレートに先生にぶつける。

学校で使わない教科書やノートをなぜ毎日持っていかなければいけないのか。
授業中に水をなぜ飲んではいけないのか?
授業中にトイレに行く時に、先生に断ってからじゃなきゃ、なぜ行ってはいけないのか。
赤ちゃんの時から一緒で、お互い呼び捨てで呼び合っている友達を、学校内ではなぜ「くん」「ちゃん」と付けて呼び合わなければいけないのか。
掃除の時間になぜ汚い所ではなく、先生に言われた場所を掃除しなければならないのか。
授業中なぜ座って聞いていなきゃいけないのか。

こういうことを、私は子どもの頃考えていただろうか?
多分、言われるがまま、何も考えずに従っていたように思う。

先生もカフウが「どうして〜?私はそんなのイヤなの!」と断固として言うことを聞かないから、説明しなければならない。
その都度先生はルールについて考えることになる。
なぜ、このルールが存在するのか?何のためのルールなのか?

一度先生に「もしよかったら、お母さんも私と同じラインに立って、カフウさんに口添えして頂けませんか?」とお願いされた。
私は「申し訳ないけれど、それはできません。」とお断りした。
そして正直に自分の気持ちを伝えた。

今の世の中に私自身が納得できないことがたくさんあること。

会社に入ると「おかしい」と思っても、会社の方針だから従うしかないとか、上司がおかしなことを言ったり、やったりしていても言えなかったり。
それは、どんなコミュニティーにも存在する問題。
仲良しグループ、親戚同士、地域社会、学校、政治。

原発を動かしている電力会社では、その辺どうだったんだろう?と思いを巡らせる。
お金の問題?
給料をもらってるから?
でも、そうじゃない。
原発は、生命に関わる問題を、経済的なことと比較して、どんどんおかしな方向に進んでしまった。
そして、そのおかしな方向がいつしか当たり前のことになり、それをベースとして今の社会も形成されている。

原発だけじゃない。
食、農業、医療、メディア等々。
「ちょっとだけならいいか」「自分一人が何か言ったって何も変わんないでしょ」が集って、大きな山になって、動かせなくなってしまっている。

自分を曲げて従うことも、時として必要なこと。
でも、絶対従ってはいけないこと、断固として反対を主張しなければいけないこともあると思う。

揺るぎない主張ができるかという点は、子どもの頃からの習慣も大きく関わっていると思う。

学校のルールは言ってみれば別に従ったところで、生命に関わる問題につながるわけじゃない。
でも、小学校はカフウが自分が信じることを相手が誰であろうと、どんなコミュニティーであろうと、今まで当たり前とされていたことに「?」を感じた時に、黙るのではなく、はっきり主張することができるという姿勢を身につける絶好の場所だと思う。

それからルールと向き合うこと。

ルールは何かしらの意味があって存在する。
でも、その意味を本質的な所で理解できなければ、形だけのルールに何の意味があるというのだろう。

例えば、学校ではみんな「ちゃん」「くん」を付けて呼び合うというルール。

これは相手を尊重する姿勢を身につけるためだそうだ。

先生は「形から入るのも大切」という。
でも私は、そういうことこそ、形よりも理解を促すためのサポートの方が大切だと思う。

相手を尊重するということを理解すれば、相手に対し決して乱暴な言葉遣いや、傷つけるような言葉を慎んだりするようになる。

だから、カフウには「いくら先生の言うことに納得できなくても、それと先生を傷つける言葉を発することはぜんぜん違うよ。もし、本当に先生に理解してもらいたかったら、先生に対して愛を持って接しないとね。先生はカフウのために一生懸命やってくれてる。だから、あなたもおかしいと思うことを、ただ泣きわめいて伝えるんじゃなくて、分かって欲しいという心からの願いを込めて、伝えなきゃ。先生だって、カフウと同じ、いろんなことに傷ついたり、うれしいって思ったりする心があるんだよ。だから、自分が言われたら悲しいと思うことは言わないようにすること。それが相手を尊重するってことだよ。」と伝えている。

それと同時に「でも、自分がおかしいって思うことは、相手がどんなに大好きな人であろうと、「私は違う考えをもっているよ。」って伝えることも、大きな愛なんだよ。」

自分と自分以外の人がいろいろ違うことは当たり前のことであって、違うことを恐れなくてもいい。
むしろ喜ぶべきことである。
だから、意見や考えの違いを伝え合うことはその違いを闇に葬り去ることではなく、光にあてること。
そうすれば、違いはもともと一つのものであることを理解すると思う。

そして先生が「私も全て納得して、学校教育に携わっているわけではないんですよ。」と言うので、「それを一つ一つ納得できるように、私も先生もカフウもみんなで努力するっていうのはどうですか?」と聞いてみた。

先生は笑顔だった。

本音と建前の世界はもうそろそろ終わり。

みんなが本音で生きる世界。
それは管理することや、されることからの卒業であって、調和の世界だと思う。

学校が始まって、カフウを通してこんなにも深く社会と関わるとは思ってもみなかった。
今まで苦手だと思っていた「先生」という立場の人。
先生との対話は私の思い込みをどんどん溶かしていっている。

そのことについてはまた次回。

子どもを通して社会と関わる
        子ども同士のおしゃべりタイム。泣くこともあるけど、それでも楽しいんだよね!


たかえ
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コメント
ちがうようなきがするなー。自分がやりたくないことだけを「なんで?」って聞いているだけのような気がするんですが・・・。いすの上に正座しないというのは,学校現場で教えることでなく,家庭で教えることだと思うんですけど。しかも,いすの上に正座しないのは礼儀であって,どうしてって言うことは,それを許してきた方の責任だと思いますよ。我が子は一番かわいいものです。その気持ちはよくわかりますが,子どもの目線になって大人として考えることは大変大事なことですが,おとなが子どもの目線になってしまったらいけないと思います。
うーーん | 2012.05.04 22:06 | 編集
子供を育てるということは、親も育てられること、子供を教育することは、親も(先生も)教育されるということなんだなぁと思いました。
こういう、自分で考えること、自分の考えをエゴではなくて相手への慈愛の心を持ちながら伝えることが出来る子供達が育って大きくなって社会に出ていって作り上げる世の中がどうなっていくのか楽しみですね。

椅子に正座が礼儀に欠けるのでは無くて、単に違和感を覚える人がいるというだけのことなんじゃないでしょうか。
もう少し大きくなって自分で変だなと思ってやめるも良し、背もたれのお陰で姿勢が良くなるということで、周りを巻き込んでしまって正座に適した椅子を作ってしまうも良しですね。
TPOについても年齢が上がれば自分で考えて、その意味や無意味さを考えた上で愛を持った対応を取れるようになるでしょうし。
なんかいいですねぇ。(^_^)
ちなみに私は、デスクでPCを使った作業をする時には、背もたれのお蔭で背筋が伸びて前のめりにならないので椅子の上で胡座をかくことがあります。f^_^;)
shamata | 2012.05.05 09:28 | 編集
そうですね。みんな違う考え方を持っていると思います。
ただ、これが私のやり方なのです。
礼儀は大切ですね。
でも、そこに違和感を覚える我が子に、そのことを解決して行く力を育んでもらいたいと思っています。
親の私の役割ももちろんあります。
私は私の立場で、先生は先生の立場で、一人一人が真剣に子どもに向き合って行くことで、今の社会に変化が現われたらうれしいなと、希望を持っています。
やりたくないこと、でもやらなくてはいけないこと、でも、それは本当にそうなの?
私は今でも毎日こういうことに取り組み続けています。
私の質だと思います。
そんな私に育てられている我が子なんですね。
こんな私たち母娘と真剣に向き合ってくれる先生に感謝をしています。
カイホー屋たかえ | 2012.05.05 09:58 | 編集
私も日々子育ては親育てだと感じています。
子どもから教えられることがとても多いですね。
気づきの連続です。
それが、小学校に入学したカフウのおかげで、先生も一緒に育て、育てられていると実感しています。
どういう姿勢で教師という仕事をやっているのか、によって、全く違う結果になると思います。
今のカフウの担任の先生は、これが自分の使命だと思って、魂を込めて教師をやっているのを感じます。
カフウや私の言葉に真剣に耳を傾け、ご自身の揺るぎない意見をしっかり伝えてくれます。
お互い真剣に、自分の理想に向かって取り組んでいるからこそ、方向が違った時に適当にやり過ごさないで、お互いをリスペクトし合いつつ解決して行くということが出来るんだと思っています。
先生との話し合いはいつも魂のセッションのようです。
先生自身もそう感じているようで、最後にお互い「楽しかったです。また何かあったらいつでもお話しの時間を取りましょう。」ということになります。
こういった話し合いを通じて私の心に起きた変化については次回の記事に書こうと思っています。

椅子に正座は笑っちゃいますが、これがもたらしたものはとっても大きかったですね。
主人とも「さすがに将来大事な場面とかで、やったらウケるよね。ま、それでもやったら拍手してやろう!」って話しています。
心配しなくても、徐々に学んでいくでしょう(笑)
カイホー屋たかえ | 2012.05.05 10:26 | 編集
長文です。すみません。

俺も椅子にまっすぐ長い時間座ってられない子だったけど、礼儀がどうのって注意された記憶はないなー。
椅子に正座をしている人を見ても、違和感はあるかもしれないけど、礼儀がないって感覚はないなー。

単に、人が横を通った時にぶつかって椅子が倒れそうな時にもすぐに動けないから危険とか、足首から先が背もたれの下にはまって危険とか、地震が起きて机の下に隠れなきゃいけない時にすぐに動けなかったり(机の下にかくれるって発想はかなり古いけどw)、そういうことになって、もし自分や他の人が怪我したりすると悲しむ人がいるからやめようねって感じで言われた記憶があるよ。
後は、後ろの人が黒板が見えなくなるとか。

先生、上手く説明できないって、こういう事になる可能性があるってことを認識していないのかな?
そうだとしたら、それは危ないね!


みんなそれぞれいろんな考えを持って、家庭を持ち、生活している。そこで育った、たくさん子どもが一つの場所に集まって一日の3分の1から半分くらいの時間を過ごす。そこでトラブルが起こらないように、しかも縛り過ぎないように最低限のルールを共有する。

できればどういう想いで、細かいルールや一般常識ができているのか伝えていければいいんだろうけど、時間が足りなかったり、面倒くさいと思う人もいたりでなかなかうまくいかないと思う。

time is money って感覚がプライオリティになってしまっている人が一般的にはまだまだ多い気がするけど、愛を注ぐってことにも時間は必要。
先生が時間をかけて解決することに賛成してくれたのなら、後はそれぞれの間にある見えない壁を見つけて、取り除いていければ自然と余裕が出てきて行動にも変化が出てくると思いますよ☆

他の人と同じことをしている事に安心する人もいるかしれないけど、他の人と違うところを発見することに喜びを感じるってことは個性を伸ばす上で良い感覚だと思います。
しー | 2012.05.05 12:57 | 編集
最初にコメントしたものです。たかえさんの考えよく分かりました。たかえさんの考えと驚くほど考えが同じで毎日拝見させていただいております。他の方が椅子に正座するのは礼儀がかけるのではなく違和感を覚えるとありますが、言っている意味がよくわかりません。学校の教室で授業を受ける時に教える人教わる人がいるわけです。じゃ椅子の上にあぐらを書いて先生の話を聞くのも礼儀がかけていないということになるんでしょうか?違いを認める大切さとはまったく違うと思うのですが、、私も今子育て中です。皆さんの考えを参考にこれから頑張っていきたいとおもいます。
うーん やっぱり | 2012.05.05 16:41 | 編集
共感した一人です。
今の世の中は、圧力の教育と思う。多数決による圧力、権力による圧力。
こどもが「何で?」と思うことを「そうしなさい!」で指導し、結局、「みんなそうしてるじゃない、あなたもそうしなさい」となる。「何で?」の発想をも押さえつけているとも思う。
情報を制限したり、圧力をかければ人を子供を押さえつけることはできるが、結果出来上がる子供は、育てた親と同じ、圧力で物事を決め付ける人にならないか?。「何で?」の発想を押さえつけられ、そう思わなくなる子供はそれだけ経験を得られない大人になると思う。理由も言えず「みんなしてるからそうしなさい」という親に。
子供は素直です。大人が考えないこと(考えられなくなってしまったこと)をします。子供の可能性を制約していくのは大人です。無限に発散させても秩序ない人になるのかもしれないが、我が子供をどう育てるかを私はこの投稿を見て考えている。
タナエだんな | 2012.05.05 18:42 | 編集
だんなさんというのはたなえさんの旦那さんということでよろしいでしょうか?家庭の教育観についてとやかくいいたわけではありません。先ほども書きましたが学校という場でのことなんです。もちろん子供の発想力は大事にしないといけません。それは十分分かっています。私が言いたいのは学校の役割、家庭での役割、家庭の教育観は家庭それぞれです。家庭での教育観を学校に押し付けるのは違うような気がします。もし、20人学級だったら大変なことのになりますし、だから各学校の教育目標がありそれを前提に先生たちは指導されているんだと思います。何度も言いますが、学校という場でのことなんです。
うーん やっぱり | 2012.05.05 19:59 | 編集
私も常々そういうことを感じていました。
だから、そういう押しつけが充満していると感じていた学校へ我が子を入学させていいものか?と一時考えていた時期もあります。
でも、そういう場所をさけて、自分の理想の環境に子どもを入れたとしても、結局遅かれ早かれ、「現実」と向き合わなきゃいけないのなら、今ある場所で、どう感じ、どう振る舞って自己表現していくか、ということに親子で取り組んでいけたらいいと思うようになりました。
私が反原発運動をしているのを真横で見て来た子です。
そういうのを見せるのはどうか?って悩んだ時期もありました。
でも、それが私だし、そこにあなたは生まれてきた。
それが答えだと思ってます。
子どもが何かやらかして、「あなたの子どもだからね。」と言われる度に「あったりまえよ!この子は一筋縄じゃいかないわよ!」って。
でも、子どもは私にはない繊細さをもっていたりして、結局親の影響は大きいけれど、一人一人の個性があり、そこをどう見て、伸ばしてあげるか。親の世界感が問われる部分だと思っています。
だから、私は広い世界に目を向けていたいと常に思っています。
カイホー屋たかえ | 2012.05.05 21:48 | 編集
うーん やっぱり さんは大勘違いしています。
家庭の教育観を学校に押し付けているわけではないですよ。。
子供1人1人が納得いくように教育するのは大変でしょう。たった1人の親でも悩むわけだから。かといって、学校が大変になるから先生が楽するために「みんなと同じにしなさい」ではなく「それを一つ一つ納得できるように、私も先生も子供もみんなで努力するっていうのはどうですか?」とたかえさんが言っているのではないでしょうか?
たかえさんは家庭ではそうしているということです。私もそうありたいと思ってる。たかえさんの先生も理解してくれてるということです。
大変なことから教師が逃げれば、家庭の教育観を学校に押し付けて…の言葉となるのでしょう。親が逃げれば教師への文句になるだろうし、親も教師も子供も現実から逃げてはダメということでしょう。
タナエだんな | 2012.05.05 21:58 | 編集
極端な話しですが、例えば私は以前バリ島でバリ人の友人の結婚式に参加しました。
その時、ご馳走が運ばれてくるのですが、私は礼儀という気持ちからご飯粒一粒も残さず平らげました。
するとまたお皿一杯にご馳走が。
また一粒残らず食べました。
するとまたお皿一杯のご馳走。
私は4杯目ぐらいの時もう絶対無理だって思い「ごめんなさい」と謝りました。

実はバリではちょっと残すのが礼儀なのです。
一粒残らず食べるということは「まだ足りない」という催促になるのだそうです。
一体この日本人はどれだけお腹がすいているんだ?って、会場中のみなさんが注目していたそうです。
日本とバリの礼儀の違いを理解した周りのバリ人たちはみんな大笑い。

これは国と国ですので、かなり大げさな例ですが、礼儀って世代によっても、場所によっても、一人一人の育ってきた環境によってもいろいろあると思います。
私も決して子どもに全てを伝えているワケではありません。
正座に関しても、「まさか学校の椅子に正座するとは!」という、どちらかといえば驚きでしたから。
だから、子どもが正座することから始まった一連の流れは私に日々違う考えや、思いをもたらしました。
でも、せっかく子どもが与えてくれたチャンスを私は大事に活かしていきたいです。
こんなちっぽけなことが大人たちにものすごいチャンスをくれてることを実感しています。
根底の部分から考えていきたいと思っています。

こんなことが可能なのは少人数の学校の特権でもあります。
ありがたい環境です。

カイホー屋たかえ | 2012.05.05 22:01 | 編集
> 正座問題は、めっちゃ少人数のクラスだけど他の子も巻き込んで、ちょっとした問題になってるよ。
> カフウの真似して、他にも正座する子が現われて、先生は対応に一苦労。
> というのも、カフウには1日一回だけ注意するって決めたことが足かせになって、他の子が「どうしてカフウは注意されないのに、私は注意されるの?」ってことになってるそう。
> 先生に「どうすればいいですかねぇ。」って聞かれて「分かりません。」って答えたよ。
> 先生も子どもたちに鍛えられ中だ。
> でも、しーくんの経験した「なぜ正座をしちゃいけないか」は、困ってる先生にこっそり教えておこう!
>
> いろんなことに追われている日常生活の中で、子どもとじっくり向き合う時間は私にとってはある意味贅沢な時間。
> 他のことは全て脇に追いやって、ただ子どもととことん向きあう。
> やらなきゃいけない(と思ってる)こと一切を後回しにして「ちょっと母さんと話そうか」ってとこから始まる時間。
> そんな中でたくさんのものを見つけたと思う。
>
> 母って自分のお母さんが基準になっちゃうから、私は最初相当自分にダメ出ししてた。
> でも、ある日「私は私のままでいいんだ。いろんなお母さんがいていいんだ。」って思ってから、子育てが楽しくなった。
>
> 担任の先生はほんとにがんばってくれていると思う。
> 私やカフウの思いを一生懸命汲み取ろうとしてくれてる。
> でも、だからと言って、私は私のやり方を大幅に変更する予定はないというだけ。
> ただ、対話を通して、お互い理解しようとしてるよ。
> あまりにも違う。
> だからこそ、こうしてとことん会話するといろんなものが見えてきて、私自身の為になってるのを感じる。
>
> 学校がカフウの個性を押し込めるんじゃないかって心配をしてたこともあったけど、今はこの環境でできることを精一杯やっていくことが、私のためにもカフウのためにもいいと思ってる。
> どこへ行ってもきっとこちらの在り方次第、ということで、どんどん人と違ってるとこを発見してあげて、いいとか悪いとかじゃなく、そこを私なりのやり方で演出してあげたい。
屋久島の「カイホー屋」 | 2012.05.05 22:28 | 編集
たなえだんなさんへ
勘違いしてしていますかね?大変という意味は学校の先生が大変ではなくてそれぞれの家庭での教育観を学校という現場のなかでどうまとめるかということです。それが現実としてできるのでしょうか?もし私がそのクラスの親でしたら、どうなるんでしょう。
最後に私の発言はかなりはもんをよんでますんね。この辺しておきます。子育て頑張ってください。
うーん やっぱり | 2012.05.05 22:52 | 編集
波紋を呼ぶ発言、私はすごく大事だと思います。
波紋を起こし続けるのは並大抵のことじゃありません。
カフウが学校でやっているのはそういうことだと思います。


屋久島の「カイホー屋」 | 2012.05.05 23:40 | 編集
波紋を呼んでいるのは、カフウちゃんの椅子の正座の方ですね。(笑い)
「うーん やっぱり」さんのコメントは至極常識的だと思いますが。
ちなみに「うーん、やっぱり」という本文コメントなのかハンドルネームなのか識別しにくいものを使うのは昔の保守的なネット世界の人たちはネチケット違反というかも知れませんね。(私は気にしませんが)
もう随分昔の小学生時代のことですが、授業前に騒いでいて静かに先生を待っていなかった時に正座の罰を与えられたのを思い出しました。
連帯責任とか言って全員、男子は床に、女子は椅子の上に。(笑)
「正座させて礼儀作法からやり直す」とか言われて。(笑)
また6年間剣道やりましたが、座る時は正座が絶対で胡座をかくと殴られましたね。
礼を失した行為だと。
むかーし、昔、汽車に乗ったお婆さんが靴を脱いで椅子の上に正座する人が多かったという逸話もあります。
日本では、人の前では正座するのが正式な礼儀作法なんですね。
そう考えると、何故、学校では、しかも椅子の上では正座しない方が良いかを大人もきちんと子供に説明して納得させる必要があるでしょうし、そのためには、大人の側がきちんと理解しておかないといけないですし、話し合いも必要かも知れないですね。
ひょっとしたら別に正座したって何の問題もないという結論になるかも知れません。
ただ、正座を強要されて育った身としては、長時間の正座は、足の血行が悪くなるので、大人も子供も、特に小さい子供は、学校で長時間座るなら普通に座った方が健康にも成長にもいいのではないかと思いますが。
でも、それもカフウちゃん自身が自分で気づいていくんじゃないでしょうかねぇ。
親、子供、先生が共に気づいて成長していける環境は素敵だと感じます。


shamata | 2012.05.05 23:54 | 編集
こんにちは。ずっとコメントしたく思ってたので、今頃おじゃましました。愛知で自由な教育を実践している私です。読んでいて、はじめは「うーん、せっかく大事に家庭で育ててきたものが学校で壊されないといいけど。ホームスクーリングにしたらいいのに!」と思ったのですけど、読み進むうちに、こういうことを丁寧に話し合える先生なら、それはそれで意味があるだろうなあ、と思えてきました。素敵です。私はとくに震災後、こんな状況にも関わらず、まだ国が言っていることを鵜呑みにして「大丈夫って言ってるから平気なんでしょう?」と思っている人の多さに驚き、これはきっと「先生のいう通りにしてればいいのよ。」と言われて育ってきてしまった人が世に溢れているからで、これからは、きちんと自分の頭で考えて、行動し、その結果に責任を持てる人たちに育ってもらわないといけないのだ!と心底思いました。(今こそうちのようなスクールが必要にされるはず!と思っています。)カフウちゃんがどんな大人に育っていくのか、楽しみです(^_^)
RUDO | 2012.05.11 21:51 | 編集
正座に関しては、先生も対話をする度にだんだん変わって来て面白いことになって来ています。
今では「確かに、立ってたって勉強できますからね。ただ、座って授業を聞くというのが当たり前ということになっていますからね。子どもたちにとっては辛いでしょうね。」と言うようになって、私も「その当たり前が本当にそうなのか、考えるいい機会を与えてもらってるんですね、大人の私たちが。」と答えました。
今後の展開が楽しみでもあります。
屋久島の「カイホー屋」たかえ | 2012.05.13 11:29 | 編集
私も震災後、たくさんの情報が溢れる中、どの情報を自分が選択し、行動していくのかということを考えました。
一人一人の反応のあまりの違い。「混乱した世界」を感じました。
なぜこうなってるのか?を考え、その根っこに学校教育が大きく関わっていると思いました。
学校に子どもを通わせることに疑問を抱いた時期もありました。
でも、屋久島にはフリースクールという選択肢はありません。
いろいろ考えた結果、ここで先生に対してアプローチしていくことに意味があるんじゃないかと思い出しました。
「全く混乱などしていない」と感じている先生との対話は時間はかかります。
でも、今後も多くの生徒たちと関わっていく先生は大きな影響力を持っています。
時間をかけてゆっくり話せる機会を与えられたこのチャンスを生かしたいと思っています。

屋久島でもフリースクールを作りたいという声があちこちから上がって来ています。
いずれはそういう方向になっていったらいいなとも思っています。
その時はぜひ相談にのっていただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
屋久島の「カイホー屋」たかえ | 2012.05.13 11:46 | 編集
>たかえさん、

そうなんですねー。屋久島の環境で自由な学校ができたら素敵だろうなあ!!
この夏(8月)に、私の自由な教育の原点であるフロリダのグラスルーツスクールに2年ぶりに行く予定ですが、興味がある方があったらご案内しようと思っています。もしかして、身近にそんな方がいらっしゃったらお伝えください(^_^) 屋久島も行きたいなあ〜。
RUDO | 2012.05.13 19:54 | 編集
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