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06.28
Tue
つぼみの状態から、花が咲き、そして枯れていく。

この様子を1ヶ月かけて毎日描いたことがある。

19歳の頃だったと思う。
その頃美大受験のための予備校に通っていた。

それぞれ描いたデッサンをずらりと前に並べて、先生がいろいろアドバイスをするという講評会というのがあった。

私はデッサンが苦手だった。
何をどう描いていいのか全くわからなかった。

その日は美大受験のちょっと前で、静物デッサンが課題だった。

いつもと同じく、いまいちなデキでイヤだったけど、まぁこんなもんだろうと思っているうちに、自分の絵の順番を迎えた。

すると先生は、いきなり「やる気あんのか?これじゃあ、何浪したってどこにも受からん!」と私のデッサンを指し棒(って言うのかな?)でばたんと倒した。

恥ずかしさと、いらだちで、私はそこに置いてあったストーブを思いっきり蹴飛ばして教室を飛び出した。

いてもたってもいられなくて私は国分寺の町中をあっちやこっちをうろうろ歩き回った。

でも、あんな風に激高してしまった自分が恥ずかしくもあった。

そのうち友達にひょっこり会い、自分の思いを打ち明けたら、その友人は「毎日同じものを描き続けるとうまくなるらしいよ!俺は畳を毎日描いたよ。」と教えてくれた。

私は畳にはあまり興味を持てなかったし、変化のあるものを描いてみたいと思い、花を描いてみようと思った。

駅前の花屋で、一番描きやすそうだからという理由でガーベラを選んだ。

1日目は花を買ってきて、それをやりはじめたことにワクワクして描いた。

翌日はもう飽きてしまって、こんなことするんじゃなかった。と思いはじめていたけど、悔しいという思いから描いた。
3日目、4日目、5日目・・・だんだん続けるのが苦しくなってきた。
でもやっぱり、悔しいという思いから描き続けた。

描く、見る、描く、見る。。。繰り返し

絵を描いていないときも、気になって気になって、どうにかしてこのガーベラという花の特徴を掴んで表現してみせる!という思いで観察した。

何日くらいたったかな?
ある日突然閃いたかのように、すごくいい感じに描けた日があった。

それを仲良しの友人に見せたら、「あんたは飽きっぽいから、これをづっと続けたら、認めてあげる!」と言われて、またまた初日に感じたようなショックに襲われた。

そしてまた悔しいから描くという何日間が続いた。

そうしているうちに花は段々枯れてきて、もうこれは枯れたから終わりにしよう。という言い訳が自分の中に生まれてきたけど、今度は仲良しの友人の言葉が耳に残っていたので、見返してやろう、と動機で描き続けた。

そのうちまた何かが閃いたように「これはいい!」という絵が描けた。

そういうときは、予備校でデッサンを描いていても、全く違う感覚だった。
そして、先生も「これ、お前が描いたのか?」と聞いてくるほど、何かが違う。
何が違うのか、よくわからないけど、その頃はテクニックとして、焦点をずらすと描けるのではという気がしていた。(今考えれば、ほんとピントがズレすぎですが。。。)

そして、毎日変化して行く花を1ヶ月描き続けた。

最後はしなびて、花びらもほとんど落ちていたけれど、その枯れていくガーベラを美しいと思った。

そして、デッサンてこうゆうもの。みたいなのが掴めたような気がした。
それは、今まで全く違ったものを見ていたなぁという発見だった。

花を描くというのは、花を描くんじゃなくって、花の周りの空気を描くみたいな感じ。花を含めた全てを描く。

そしてその1ヶ月分の絵はある友達にプレゼントした。
友達はあまり嬉しそうではなかったし、どちらかというと迷惑そうでもあった。

プレゼントして、その絵を描いているときに感じたことを共有したいと思ったけど、うまく伝わらず、
最後は、遊んでばっかいないで、もっとしっかり勉強しろ!もっと真面目に絵を描いたらどう?みたいに説教されて、私もいろいろ言い返したような気がする。

まぁ、この友人とはいつもそんな感じで、仲良しだけど、いろいろ言い合う仲だったので、全く気にもならなかった。

でも、あの時もし私がもっと大人で、自分の経験していたことを言葉で表現し、それを確実に自分のものにしていたら。。。

とちょっと思うのです。

結局、その時感じたことは、すっかり忘れ去ってしまっていたのだけれど、ツイッターで「枯れていく花もきれい」とつぶやいている人がいて、突然ありありと思い出した。

1ヶ月のガーベラのデッサンで私が見たものは、すごいものだったかもしれないということを。

思い出したよ!

アオムシ
                 よく見ると。。。きれいなんだか、気持ち悪いんだか。。。わかんなーい!


たかえ


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コメント
うぎゃー。たかえさんこの子すごいね!きれいなだけにエグい。なんか毒ありそうだし。毒あるやつってさ、地味より派手なやつらが多い気するよね。けどおれ結構好き。ぼぼーーーん!
yuichiro | 2011.06.28 11:07 | 編集
ストーブを蹴っ飛ばして出て行くパンクたかえちゃん、まったくイメージできます。

なつかしいなあ。
私はそういうたかえちゃんを「都会のロック姉ちゃん」と思って脅えてみてました。
当時私は更に何も分からない高校生だったわけですが。

あーいま思うと本当に色々詰まった時代でしたね。

その友達は、Hかな??
ozzy | 2011.06.28 12:02 | 編集
いま、全ての大人に・地球人に
この地球の美しさをしっかり見てもらいたい。

そして、そこを汚している全てをしっかりと見てもらいたい。

汚れが見えれば見えるほど
美しさは際立ち、光り輝き
汚れは更に汚れて見える。

白と黒のコントラスト
ディティールはハッキリとし

もはやグラデーションではない。

夜から朝
朝から夜へは

まどろみの美しいグラデーションがある

大いなる自然を見失えば

もはやそこには、グラデーションは無い。

ZAKMOON | 2011.06.28 13:59 | 編集
ヤバい子でしょ!私も最初アルバムの中に見つけた時、ウギャー!となったんだけど、あまりにきれいでね。
ナオヤはこういうエグイの結構撮ってるかも。
けむしとか、ヘビとか、シマウマのとか、美しすぎて恐ろしい感じしない?
もうそうなってくると、ただただ圧倒される世界の広がりにボーゼンとするのです。
たかえ | 2011.06.28 22:25 | 編集
もちろんHだよ!
今でも相変わらず、ののしり合いながらリスペクトし合ってるよ~
全く変な仲だといえる。

今になってあの頃を振り返ると、いろんなことが繋がるんだよね。
すでに、あの時種は蒔かれてた!と感じること多し。
というか、記憶のはじめ、幼稚園のときから種まきしてる。
それに気づいていくのが面白い。

歳取るのもいいもんだ。

ちなみにozzyの印象はは擦れてなくって、ハツラツとした東京っ子って感じ?!

もうすぐだね~
思いっきり遊び倒そうね!

たかえ | 2011.06.28 22:32 | 編集
素敵な『詩』をどうもありがとうございます。

実はこのデッサンの時「グラデーション」ってすごいキーワードでした。
ガーベラの茎の細かい繊毛がその感覚を呼び覚まして。
そこに目がいったら、花びらが朽ちて行く過程がまさにグラデーションでしかなく、瞬間とグラデーションの境目を感じてました。
それを言葉で表現出来ずに、悶々としました。
そういう意味でもアートってすごいと思います。
たかえ | 2011.06.28 22:38 | 編集
私には、たかえちゃんのようなピュアさはありませんでした。

私はデッサンするときも見えたまんまをただ描くだけで、描くことに苦悩とか思想とかほぼ感じたことがないのです。
そのまま、ただ描けばいいだけだから、ちょっとした驚きや発見があっても、その対象に肉薄するような愛がなかったのだと思います。(それでも、飲み込みが早いので、とてもうまかったんです。講師が何を求めているのか、それに合わせていただけというか)
そう考えると、描くことと人間性とは似ているところがありますね。私はとてもドライでしたね。外界に対しても。心が硬かったのかもしれないですね。
第一、美術というものに愛がほとんどありませんでしたね。反省しちゃいました。
ホリー | 2011.06.29 12:55 | 編集
私はものすごく飲み込みは遅いし、思い込みが激しく(多分それをホリーさんは愛という美しい言葉で表現してくれている)、予備校に入った時点でつまづいた感がある。
絵は大好きで、子どもの頃、みんなが遊ぶ約束をする日曜日に自らすすんで遠くの絵画教室まで通っていたよ。
ところが、「受験」に完全に洗脳されてしまった私は、絵を描く楽しみを忘れてしまったのです。
ドライであることって、時として必要かもね。
私はドライさが全く欠けていて、見失いまくりの青春時代だったかも。
でも、見失ったおかげで、「doughter」や、今の生活に繋がってるからいいんだけど!
たかえ | 2011.06.29 23:47 | 編集
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